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知覧特集

  • 執筆者の写真: skawai1
    skawai1
  • 5月22日
  • 読了時間: 4分

突然ですが、今回は特攻隊で有名な鹿児島の知覧についての特集です。


弊社・木場ベニヤ商会の社員一同は、土曜日から毎年恒例の社員旅行で、一泊二日の鹿児島旅行に行って来ます。

初日、真っ先に訪れるのは「知覧特攻平和記念会館」です。

ついては、せっかくなので事前勉強してみよう、という趣旨でございます。


というわけで、本を3冊読んでみました。




まず、1冊目「知覧 いのちの物語 特攻の母と呼ばれた鳥濱トメの生涯」です。

著者は鳥濱トメの孫・鳥濱明久。



鳥濱トメの凄まじい生涯が迫力満点で描かれています。


鳥濱トメは知覧で富屋食堂を経営していました。四方を山で囲まれた知覧は爆撃を受けにくく、陸軍の飛行場が作られることになります。軍の指定食堂となった富屋食堂は若い兵士たちで賑わうようになります。そして昭和20年に陸軍で特攻隊が編成され、3月から6月の4カ月の間に、アメリカ軍の沖縄上陸を阻止すべく439人が出撃していったのです。

兵士たちは特攻隊に選ばれると、山の中にある三角兵舎に移されるのですが、この三角兵舎から富屋食堂に通ってくるのでした。



トメは特攻を間近に控えた十代後半から二十代前半のまだ幼い特攻兵たちから「小母ちゃん、小母ちゃん」と母の様に慕われ、またトメも特攻兵たちを自分の子の様に可愛がって面倒を見、私財を投げうって、彼らに食べもの、酒を与えました。


戦後、トメは特攻隊員を弔いつづけると決心し、一本の棒杭を参り続けることから始めます。やがて町会長たちを説得し、昭和30年に特攻平和観音像を建立させます。

特攻隊の生き残りで、全国の特攻隊員の遺品を集めて回った板津忠正との交流が、特攻遺品館、そして知覧特攻平和会館へと繋がってゆきます。


運輸大臣だった石原慎太郎が、公務の合間を縫ってトメに会いに来たときには、「まず何より先に、観音堂にお参りしてからにしてください」と一旦面談を断っています。後にトメと親しくなった石原慎太郎は、映画「俺は、君のためにこそ死にゆく」を製作するに至ります。主演のトメ役は岸恵子、窪塚洋介も出てました。主題歌はB'zの「永遠の翼」です。


特攻兵の勝又少尉から「残りの30年分の命は小母さんに上げるから、必ず長生きできるよ」と言われた言葉を信じていたトメは、89歳10か月の天寿を全うしました。行き場のないシングルマザーとか困っている人を大勢面倒を見て、鳥濱家は誰が本当の家族か分からない状態だったといいます。挙句の果てには、自分の家に泥棒に入った者を警察から引っ張ってきて面倒を見たそうです。

富屋食堂は現在は資料館「ホタル館富屋食堂」になっていますが、そこにはトメ直筆で「命より大切なことがある。それは徳を貫くことである」とあります。


2冊目は「人生に迷ったら知覧に行け」です。



著者の永松茂久氏は、3坪のたこ焼き行商から商売を始め、口コミだけで大繁盛店を作り上げた人物。ユニークな人材育成方法の講演、執筆も精力的に行い、「人は話し方が9割」などのベストセラーを何冊も執筆しています。

この方の祖父がことある度に言っていたのが、「人生に迷ったら知覧に行け」です。


本の前半は、1冊目にも描かれている数々の特攻隊員たちのエピソードなど。高倉健が映画「ホタル」を作るきっかけなども描かれています。

そして社員旅行がきっかけとなって、「知覧さくらまつり研修」を開催するようになり、更には、鳥濱トメに代わって知覧の語り部となっていた孫の鳥濱明久とも交流するようになり、遂には明久から「ホタル館特任館長」に任命されるに至ります。


「フォーユー精神」など数々の強いメッセージが込められた1冊です。


3冊目、「知覧からの手紙」は、女物のマフラーを巻いて特攻していった穴沢利夫少尉とその婚約者・伊達智恵子のストーリーを、ノンフィクション作家・水口文乃が描いた一冊です。



今回は以上です。


桜島がちょっと気になりますが、鹿児島に行ってきます!


 
 
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